湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-07-31

今回も、古河時代の選鉱場についてのご案内です。

いよいよ選鉱についてご案内いたします。

会誌 《院内銀山》より
明治最盛期における院内銀山の鉱山技術
                秋田大学鉱山学部長  能登文敏
この中で選鉱について詳しく書かれていますので、それをご案内いたします。


 ●選鉱について

 当時の院内銀山の面積は166万5201坪といわれ、各坑道で採掘された鉱石は全部疏水道に集められ、そこから馬車に積まれて大切坑口から坑外に出して選鉱場に運ばれた。選鉱場は大切坑口の東側にあった。選鉱は精錬する前の一行程である。
 先ず大きな鉱石はクラッシャー(破砕機)で手ごろな大きさに砕かれ、富鉱(上鉱ともいう。当時は銀含有量1万分の4以上のもの)と貧鉱(下鉱ともいい、銀含有量1万分の3.9以下のもの)と廃石(ズリ)とに選別される。この作業はもっぱら婦女子による手作業、つまり手選であった。富鉱と貧鉱、そして廃石を瞬時のうちに選別するとは、まさに神技に近い。訓練を積むとは、そういうものであろう。選鉱婦は当時百人内外いて、その外に選鉱場には男子従業員二百人内外いたという。

IMG_2066.jpg
この図は少しみにくいが、選鉱の行程を描いた図です。
大切坑よりトロッコで鉱石が運搬されて選鉱場まではこばれ、
まず、貯鉱場で鉱石の依り分けをされます。グリズリーという鉄格子節を通します。

IMG_2067.jpg
説明文が書かれていますが、見えずらいのでここに書きだします。
大切坑・・坑内にはトロッコ道が造れらていた。
この坑道は選鉱場までの鉱石運搬と水抜き疎水道を兼ねている坑道なので、幅も1.8m以上ある幅広い坑道で、相の山部まで延長2500mであった。
 明治の初めころは馬車で運んでいたが、やがてトロッコで運ぶようになった。

選鉱場の中の貯鉱場へ、
ここでは大まかな鉱石の選別が行われた。グリズリー(鉄格子節)という機械を使っていた。
グリズリー・・35度~45度の角度が付いている
重力の作用によって落下し粉鉱が節目を通過して節別けられる。


この様子を写した当時の写真があるので、ご案内いたします
選鉱場3
トロッコでこの場所まで運んできています。鉱石破砕場
クラシャーのところで男性が作業をしています。

今回はここまでにしておきます。
ごきげんようさようなら
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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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