湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

山田の昔話「糸六の滝」・・・続き

2012-05-27

皆さま、こんにちは

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のらんぼーです。

来月から、いよいよジオガイド養成講座<中級の部>がスタートします

座学+現地講座を、一日かけて行う訳ですが・・・今までは、現地に行く機会がほとんどなかったので

今からものすごーく楽しみです

前半は、梅雨時の講座になりますが、せっかくなので晴れて欲しいなぁと

今から祈っておきます


さて、今日は前々回の続きをお伝えしたいと思います。

『やがて年もかわり、雪国にも暖かい春がやってきました。

 お糸はというと・・・六造を想うあまり、恋わずらいに・・・

 何をしても気が晴れずにいましたが、ある日、気分転換に山菜を採りに行くことにしました。

 そこでばったり、愛しい六造に逢ってしまい慌てたお糸は駆け去ろうとしました。

 しかーしそんなお糸を六造は、優しく呼び止めたのです。』

自分に全く気がないと思っていたお糸は、嬉しかったでしょうね


『二人は伊抒呂久の沢へ下りて行き、それぞれ自分たちの想いを語り合いました。

 どれくらいたったでしょうか・・・疲れてしまったお糸はウトウト・・・

 その愛しいお糸の姿を見ながら、六造もウトウト・・・

 いつのまにか、二人は眠りこんでしまいました。』
(山田の語り草 総集編) 



この時の二人は、本当に幸せを感じていたでしょうね

お糸&六造の恋の結末は・・・ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか・・・

またまた、ちょっと長くなってしまったので・・・

結末が気になるところですが・・・次回、最終話に


湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のらんぼーがお伝えしました

秋田の酒米の歴史③

2012-05-20

こんにちはm(_ _)m

前回の記事では、今週末、幕張メッセで
日本ジオパークネットワークの公開審査があるとお話しましたが、
まさに今日がその日となります。

今日の様子については、後日、おそらく赤い彗星さんのほうから
アップされると思いますので、どうかお楽しみに!

前回は、秋田・湯沢の酒米の華々しい歴史舞台の最初に登場した、
「亀の尾」という品種のお話でした。

この「亀の尾」の特徴を簡単に挙げると、
・一般食用として、食味が優れる
・酒米としても優れる
・耐冷性に優れる
・害虫に弱い
といったものが挙げられます。

また、前回の記事に補足すると、1930年代までは、
「亀の尾」と同時に「愛国」という酒米も
県内で全盛期を迎えていたようです。

そんな「亀の尾」と「愛国」でしたが、
1934年に起こった大冷害によって、状況は大きく変わります。

「亀の尾」は早生(他の品種より早く実ること)だったので、冷害によるいもち病で、
「愛国」は晩生で、遅延型の冷害によって被害を受け、
東北6県において4割もの減収を被ったそうです。


しかし、その大被害のなか、ある品種がそれを耐えしのいでいました。
それが、「陸羽132号」です。

「陸羽132号」は、1921年(大正10年)に、秋田県にあった国立農事試験場陸羽支場にて
育成された、日本初の人工交配による優良水稲です。


この品種は、
冷害に強く食味に優れるが、いもち病に弱い性質を持つ「亀の尾」から純系分離した「亀の尾4号」と、
いもち病に強い性質を持つ「愛国」から純系分離した「陸羽20号」が親となっています。


お互いの良いところを補おうとしたわけですね。
この交配は1914年(大正3年)から始まっており、
7年にも及ぶ粘り強い努力から、ついに実りを迎えた品種です。

この大冷害の以後は、急速にこの品種の作付面積が伸びました。
1929~52年までの24年間、東北地方で作付面積1位の座を保ち続けたそうです。

この時の冷害の様子をうたった、かの宮沢賢治の詩の一節にも、
『君が自分でかんがえた あの田もすっかり見て来たよ 陸羽一三二のはうね
    あれはずゐぶん上手に行った 肥えも少しもむらがないし いかにも強く育ってゐる』

とあります。

明治・大正時代には、ここ東北地方は何度も冷害やいもち病に悩まされました。
そんな厳しい環境のなか、自然の被害を不屈の精神で乗り越えて、
全国でもトップに立つ良質なお酒、酒米を作ってきた先人達を、誇りに思います。

ちなみに、現在県内でこの「陸羽132号」を使用しているお酒はというと、
秋田清酒株式会社さん『やまとしずく 純米酒 陸羽132号』などがあります。

の…、飲みたいっ!!

山田表紙_convert_20120507145538

何度もこの写真↑を流用してますが、
お話を重ねるたびに、だんだん見え方が違ってくるように思いませんか?

さて…、次回あたりは、いよいよ山田で生まれた優良品種、
「改良信交」のお話ができればなぁと思います!


プレゼン後の飲み会を密かに楽しみにしている、
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふらっとでしたm(_ _)m!!

山田の昔話「糸六の滝」・・・前編

2012-05-19

皆さま、こんにちは

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のらんぼーです。

いよいよ明日は、日本ジオパークネットワークの公開加盟審査会の日です

湯沢市ジオパーク推進協議会でお世話になってからまだ日が浅いですが、

私も・・・何だかにわかに、緊張してきています

と言っても・・・今回は諸事情で、同行できないのですが・・・

当日は、ここ湯沢から成功を祈ることにします


さて、今日も山田の昔話をお伝えしたいと思いますが、調べなくても知っているメジャーなものから
・・・山田の人だけかも・・・)

資料を見て、初めて知ったものまで、けっこうあるものだなぁと感じてます

そして、今回は山田の昔話の中でもメジャーな方に入る「糸六の滝」について

お伝えしたいと思います。



『高野の奥に険しい滝あり、時々どよめき鳴り響くので、古くから“伊抒呂久”驚きの滝と

恐れられ、付近一帯の山行きは禁じられていた

さていつの事か、土沢にお糸という、働き者で優しい美しい娘がいた。

多くの異性からの評判も良かったが、心を動かされることもなく、だからと言って

思いあがることもせず、家の手伝いに精を出していた

ある年の秋ごろから、お糸の隣家にどこからとなく一人の若者がやってきた。

男の名は六造といい、色は浅黒く顔立ちも良く、仕事上手の上、笛の名手でもあった。

いつしか、お糸はこの六造に惹かれるようになったが、六造はというと・・・

村の若者と違い、顔を合わせてもろくに挨拶もなく、何の素振りも見せなかった


そんな六造にお糸は、無性に腹が立ってきたが・・・そんな自分を恥ずかしいと感じていた。』
(山田の語り草 総集編 参照)


お糸は、いつしか恋する乙女になったわけですね

昔話には、悲恋も多い訳ですが・・・お糸と六造の恋の行方は・・・

ちょっと、長くなってしまったので、後編へとさせていただきます。

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のらんぼーがお伝えしました。

皆さま、良い週末を~

秋田の酒米の歴史②

2012-05-16

みなさんこんにちはm(_ _)m


らんぼーさん、後輩の僕も、確かに「たにし観音」のお話聞いてますよ~!
本尊もチラッと見せてもらったような…記憶があります…多分!
土沢神社は、ひっそりとした佇まいの神社ですが、何だか不思議な空気に包まれた場所です。


さて、今週末は千葉幕張メッセにて行われる、日本ジオパークネットワークの公開加盟審査会に
同行することができるとのことで、今からワクワクしているふらっとです!

幕張メッセには行ったことがないのですが、きっと大きなホールで
ドーンと湯沢の魅力をプレゼンしてくるんだろうなぁ。
僕は直接プレゼンに関わるわけではないのですが、
楽しみに思うと同時に、緊張感もあります。

ですが、僕が事務局に入るずっと前から、
多くの人たちの努力によって磨かれてきたこの構想ならば、
きっと誰が聞いても素晴らしい内容に感じてくれると信じています!

というわけで、プレゼンの心配はせずに
僕は僕のできることをコツコツやっていきたいと思います。


では早速、前回のお話の続きに入ります。
前回はまず酒米についての基礎知識を確認しました。

前回の記事に補足させていただきますと、酒米と呼ばれるような品種は、

総じて病気に弱かったり倒伏しやすかったりと、
一般の米に比べ栽培が難しいものとされています。


更に、これを酒造において使用するに当たっては、

含まれる糖分が少ないため、他の果実酒(ワインなど)に比べると、
米はとても発酵の難しい原料であるとされています。


それ故に、昔から日本の酒造家や酒米農家の人たちは、多くの苦労を重ねてきました。

僕は正直な所、今まで日本酒がそんなデリケートなお酒であるという認識はなく、
むしろワインとかの洋酒の方が、よっぽど繊細で難しいお酒であるように思っていました。

それはきっと、日本酒を飲んでべろべろになってる
近所のおじさん方ばかり見てきたからなのかもしれません…(汗
(あと悪酔いしてどんどんお酒飲ませてくる友人とか…)

テレビに映るヨーロッパのブドウ畑を営むオジサマ達からは、
そんな酔っぱらった姿は想像もできませんから、
なんとなく向こうのお酒の方が高尚なもののように感じたんだろうと思います。

ところが必ずしもそんなことはなく、
勉強すればするほど、日本酒とはすごいお酒なんだと思い知らされます。

特に、その原料となる稲の栽培・品種改良に関する
酒造関係者、研究者の方々の努力と苦労の歴史には驚かされます。


さて本題です。
伝家の宝刀(と言いつつ毎回使ってますが)『山田の語り草 総集編』によると、
秋田の酒米の歴史舞台に最初に登場するのが、
1893年(明治26年)に山形県の篤農家・阿部亀治により育成された、
「亀の尾」
と名付けられた品種であったとされます。

前回は、酒米は一般食用に適さないと書きましたが、
この亀の尾、むしろ食用として一般的で、かのコシヒカリ、ササニシキ、
更にはお馴染みあきたこまち、ひとめぼれ
ご先祖様にあたる、大変美味な品種であったそうです。

その上酒米としても優れた特性を備え、
五百万石、たかね錦、若水、亀粋など多くの子孫品種も生み出しました。

秋田県および湯沢市内での全盛期は1921~1930年代とも言われ、
「秋田酒造史」の一文によると、
『1921年(大正10年)「両関」が、第4回、第6回に続き第8回全国清酒品評会において
優等に入賞、秋田県として初めて名誉賞を受賞。秋田酒の名声を全国に博す。
県産酒造米「亀の尾」特に県南産米が広く県内外で賞用され、雄平二郡ではその70%にも及ぶ。

とされています。

すごいですね。ということはつまり、
全国の注目を浴びたお酒が秋田から生まれ、そのお酒は湯沢の蔵で仕込まれて、
それに使用された酒米の大半も湯沢…、そしてやっぱり湯沢の米どころと言えば、
山田でその多くが栽培されていた、ということになりますよね。
これはとても誇らしいことです。

「亀の尾」は育成当初の時点でこそ「耐冷性に優れる」と言われていましたが、
新たな品種の台頭により相対的な弱さが際立ち、
あわせて害虫への耐性の低さや、
化学肥料を使用すると極端に米が脆くなるといった性質を持つことから、
現代の農法には向かないとされ、次第にその子孫品種などにとって代わられたそうです。

それにより、一時は全国的に「亀の尾」の栽培自体されることがなくなりましたが、
新潟県の三島郡和島村の『清泉』で知られる久須美酒造にて、
1983年(昭和58年)に亀の尾を原料に使った吟醸酒『亀の翁』が製造されたことで、
現代に蘇りました。

そのドラマティックな出来事は、
漫画『夏子の酒』(1988~1991年、モーニングで連載)のモデルになり、
同名作品のテレビドラマ化までされて、一躍注目を集めました。

県内でこの酒米が使用されているお酒としては、
木村酒造さん『秋田杜氏 亀の尾仕込み 大吟醸』や、
浅舞酒造さん『天の戸 亀の尾仕込み 純米吟醸』があります。
うーん、飲んでみたい!!

山田表紙_convert_20120507145538

さて…、またしてもがっつり文章ばかり詰め込んでしまいましたが、
ここでお終いにしたいと思います。

写真などを上手に利用した華やかな記事は、他のメンバーの方にお任せします…。
それと、お酒の記事を書くなら、色んな銘柄を飲み比べたりしていると
もっと面白い記事が書けるのでしょうけども、ここで書いてるようなお酒は
僕にとってみんな雲の上にあるような逸品ばかりなので(※金銭的事情で)、
なかなかその味を楽しめないのが現状であります…。

ネットや書籍で旨そうなお酒の銘柄を知っては悔しい思いをしている、
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふらっとでしたm(_ _)m!

田螺(たにし)観音

2012-05-15

こんにちは。

今日は、朝から雨が降って、少し肌寒い湯沢市です

週末は暖かくと言うよりは、暑くなりそうですが、ここ湯沢市ジオパーク推進協議会

5月20日(日)の公開プレゼンテーションへ向けて、熱くテンションが上がってきております

まだ、まだひよっこのらんぼーですが、色んな事を一生懸命頑張っていきたいと思います


さて、今日は・・・以前、トビウオさんのブログ記事に、少しだけ登場しておりました『田螺(たにし)観音』に

ついてお話ししたいと思います。


山田小学校を卒業している方でしたら、一度は聴いた事があると思われる昔話です。

一度・・・TVアニメの昔話でも、放映していたような・・・らんぼーの願望がそう記憶させているのか・・・?


昔、尊いお坊さんが諸国行脚の道すがら、土沢部落にやってきた。

里人との相談ごとや有難い御仏のお話しをされていた。

出立の日が近づいたが、今しばらく滞在して欲しいと、地に伏してお願いする里人の心にうたれたお坊さんは

一心不乱に仏像を彫り、ついに身の丈1丈6尺(4.8m)の立派な仏像が完成した。

その後、平和だったこの地方にも戦乱がおき、仏像のあるお堂にも火がつけられ、あっという間に

燃え上ってしまった。しかし、真黒に焼け焦げた跡に、仏像がそのまま残っていた。

近づいてみると、仏像全身が「たにし」で覆われていたのだった。


以来、春秋の祭りのときに、たにしの霊を慰めるためにお堂の池にたにしを放流するとともに、たにしを

食べない習慣が残っている。

土沢


たにし観音は、昭和31年、秋田県重要指定文化財として指定され、名称は木造十一面観音立像となっている。

(山田の語り草 総集編 参照)

今でも右耳と胸の辺りが、焼けて炭化しているのは・・・兵火の証し・・・


そう言えば・・・田螺(たにし)、最近見ないですよね?

子供のころは、田植えが終わった田んぼの中には、けっこういたものですけど・・・

たにし観音のお話も、たしか・・・小学校2年か3年の時の・・・遠足の前に聞いたような・・・

遠い記憶もたどりながら・・・湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のらんぼーがお伝えしました。





プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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