湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
ゆざわジオパークのいろいろな情報や事務局の日々の感想をつづるブログです。

梨の木峠―山谷峠―

2012-03-16

皆さんこんにちは
今日はまたとても天気が良くていいですねもうすぐそこまで春が来ているのが分かります
こんなに天気が良い日は桜を見ながら一杯飲みたくなる…そしてそんな日もそう遠くないと思う今日この頃です

さてさて

今日は、美の郷ゆざわジオパーク構想ジオサイト候補地稲川より、山谷峠についてお話ししていきたいと思います
山谷峠は現在、稲川と湯沢市街を結ぶ国道398号は山谷トンネルで直進できますが、トンネル開通以前までは山裾に沿ってS字に登り、山谷峠の切り通しを越えていました

山谷峠
近代化産業遺産としての旧国道398号の切り通し

稲川町史に山谷峠について次のように記述されています
『稲川町より湯沢市に越える、最短距離にあるのが山谷峠である。霊峰東鳥海の山塊が東西に延び、峠路はそれを蛇行して走る。“峠”の持つ語感は急しゅんな国ざかいを想像させるが、この山谷峠は平坦部にひょっこり隆起した展望台の感じである。山谷の地名は峠の湯沢側にある山谷部落に由来したといわれている。』

明治時代の峠は今の峠よりもずっと上でした今の児童公園の横から、階段がついている道を通って、切り通しの南の上に登った所です
また、文政11年(1814)秋、菅江真澄が、『勝地臨豪』に山谷峠の様子を描いています絵にある石堂は、享和元年(1801)のもので、梨の木が書かれていることから梨の木峠とも呼ばれています
菅江真澄
菅江真澄氏

山谷峠が昔、『梨の木峠』と言われていたことも初めて知りましたが、菅江真澄が書いた絵が由来だったことも初めて知りました
本当に知らないことばかりで…これから色々覚えていきたいと思う今日この頃です

今日のブログは湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふぢでした

稲川にある鉱山跡―来田(らいでん)鉱山―

2012-03-12

皆さん、こんにちは
最近またが降りましたねやっと3月になったというのに…本当に春はくるのか?と、思う今日この頃です

さてさて

今日は、「美の郷ゆざわジオパーク構想」にありますジオサイト候補地駒形
にあります来田鉱山(らいでんこうざん)についてお話ししていこうと思います

来田鉱山は、稲川町大倉集落の東山麓にあり、白沢鉱山跡に隣接しています
来田鉱山周辺の地質は、中新世(約2300万~約500万年前)の真昼川層の緑色凝灰岩と泥岩、そしてデイサイト~流紋岩からなります
来田鉱山の鉱床は、泥岩に覆われた凝灰岩中に層状に発達しています鉱床は、厚さ1.0~2.5m、東西約30m、南北約60mの粘土化帯に数個の塊状をなす黒鉱です鉱種は金、銀、銅、亜鉛です
また、横手市増田町の吉乃鉱山、稲川町の大倉鉱山、来田鉱山、白沢鉱山にわたる鉱山群は、地質学的に一体をなしています

来田鉱山

現在、鉱山跡地は、盛り土・土留、緑化等の鉱山公害防止工事が行われ、果樹園となっています
そのため、鉱山跡はほとんど分かりません

来田鉱山②
現在果樹園となっている来田鉱山跡地

~歴史~
明治30年代に来田沢において、地元大倉の山下養助氏が銀鉱を採掘していた記録が残っています。大正4年(1915)、来田沢の主要鉱床は採掘されていましたが、山下東吉氏は新たに採掘鉱区を設定し、操業を開始、従業員20~30人で、年間約160tを採掘しました。大正6年(1916)、銅価格の低落に伴って操業規模を縮小し、操業を続けました。
 昭和6年頃、新鉱床を発見し、翌昭和7年には111tの銅鉱を採掘しましたが、昭和10年頃休業状態になりました。鉱量を掘り尽くした観があり、戦後、大日本鉱業㈱が探査しましたが、再開に至らず、閉山されました。
 そして、昭和49年~50年には休廃止鉱山公害防止工事が実施されました。現在、山腹から流れる沢水は農業用水として利用されています。


と、このように湯沢には、湧水も豊富ですが鉱山も沢山採掘されていたことがこのブログからでも分かりますね
上手な締めの言葉が浮かびませんが、今日の地質と歴史のブログはここまでにしたいと思います

今日のブログは湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふぢでした

広沢寺―石塔からイチョウの木―

2012-03-08

皆さん、こんにちは

今日は、第9回目ジオガイド養成講座の日ですよぉ~
このジオガイド養成講座も今日を含めてあと2回となりました早いものですねぇ~
最後まで頑張って行きたいと思います

さてさて

今日は、「美の郷ゆざわジオパーク構想」にありますジオサイト候補地稲川より、広沢寺の中にある石塔イチョウの木をご紹介していこうと思います

広沢寺にある石塔とイチョウの木は、広沢寺本堂裏の墓地の中にあります
石塔:湯沢市所在史跡・文化財リスト122に記載されています(宝篋(ほうきょう)印塔とありますが、詳細は不明です。)

広沢寺の石塔

イチョウの巨木:推定樹齢約200年で、乳神大イチョウと呼ばれています

広沢寺のイチョウ

…と、このように石塔一つとっても文化財リストに入っていたり、この巨大なイチョウの木も女性の木と言われていたりして、とても興味深いものばかりですよ

広沢寺だけでもとても歴史が深いのですよぉ~
広沢寺は、元々稲庭城9代目城主だった小野寺道広が開いたお寺で、小野寺氏の菩提寺となっています

歴史を辿ると今現在のつながりが知れて本当に面白いと思いました

そんなこんなで今日のブログを締めたいと思います
今日のブログは湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のふぢでした

閑居清水

2012-03-07

こんにちは

最近の雨で道路の雪がかなりとけましたね

今はまだ冬用のブーツを履いているのですが、そろそろ他の靴も用意しようかな~

といっても、まだ雪も降ると思いますが

さて、今日は閑居清水を紹介します

閑居清水は、以前ご紹介した広沢寺のすぐそばにあります

閑居清水地図

広沢寺十二世安住如山大和尚は、宝暦9年(1758)にこの地に清水を掘り、傍らに杉を植え、
庵を結んで閑居として14年間過ごしました

大和尚は、安永元年(1772)12月8日に没しました

清水は、この大和尚の庵にちなんで「閑居清水」と呼ばれるようになりました

閑居清水
閑居清水

集落の人々によって旧暦4月6日に清掃され、清水祭りが行われています

清水の傍らには、大和尚が植えたという杉も残っています

閑居清水傍らの杉

以上、湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました

広沢寺

2012-02-04

こんにちは

来週の土日は犬っこまつりですね~

今年は雪がすごいですが、犬っことお堂を作る雪が足りない!なんてことにはならなそうなので、
そこは良かったかな

さて、今日は広沢寺をご紹介します

広沢寺は、稲庭城の南東約1.2kmの国道398号そば、旧稲川町小沢集落にあります

広沢寺山門
広沢寺の山門

当時の稲庭城主・小野寺弥太郎道広が檀郡寺開基となり、現在地に創立しました

本堂の裏には道広の墓石があり、各字が破蝕していますが現存しているそうです

創建は慈覚大師とも云われる古寺で、県南の雄・小野寺氏の菩提寺にふさわしい広大なものです

現在の本堂は寛政元年(1789)に建てられたもので、赴きがある建物です

鐘楼門は4脚門で、入母屋の屋根で構成されています

規模はあまり大きくはありませんが、柱などもかなり太い材を使っていて重厚な印象を受けます

以上、湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオがお伝えしました

プロフィール

湯沢市ジオパーク推進協議会事務局

Author:湯沢市ジオパーク推進協議会事務局
世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

御訪問ありがとうございます
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
検索フォーム
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
リンク
QRコード
QR