湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山関連ブログを書く

2014-07-03

先回 6月25日のブログで書いた内容で一部訂正があります。
”津軽公大阪から帰陣のとき”の中で、院内にあるお寺”信翁院”に箭田野氏歴代のお墓があると書きましたが、現在は誰の墓かはわかりませんが、一基のみあります。(お墓が風化してしまって文字見えず) お詫びいたします。

今日は、《箭田野安房鎮将となる。》について書きたいと思います。
 義宣公入国後、一門一族が各郷に配置された。特に院内は国境の要地にあるので、慶長13年(1608)箭田野安房守義正を以てこれを守らせた。食禄は二百石、これに従う者、士分十余人(後二十三人となる)、足軽三十人が与えられた。
 その子四朗左エ門行正、孫四朗左エ門行貞が相ついで鎮将を務めたが、寛文年中故(ゆえ)あって真壁右衛門がこれに代り、更に同11年(1671)小野田刑部が代って鎮将となる。然し翌十二年八月十一日再び箭田野四朗左エ門行正が命ぜられて鎮将となった。(箭田野はその間角館に移って二十人扶持となり、後に再び二百石を与えられたという)
 その後八郎左エ門の代になり、再三職を辞退するということがあり、延宝八年(1680)に大山因幡義武が代わって鎮将となった。箭田野氏は院内にあること前後およそ七十年、大山氏が院内に来たのは延宝八年六月四日のことである。
**院内銀山は当初、慶長十二、三年の時は鎮将箭田野氏を銀山奉行としたが、やがて梅津主馬、河井嘉兵衛、助川左内が奉行となり、以後代る代る本藩から奉行が派遣されたという。
 上記の写真は、院内の信翁院にある箭田野氏のお墓ですが、一基しかなく、風化していて誰のものかわ、分からないとの事。

院内の信翁院にある箭田野氏の墓一基(誰のか不明)
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