湯沢市ジオパーク推進協議会は、秋田県湯沢市の「世界ジオパーク」認定登録に向けて、日々奮戦中です。
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ミラーマン 院内銀山を行く 明治以降の院内銀山(古河時代)

2017-04-26

先回の終了時にご案内した煉瓦造りのエントツについて紹介いたします。

古河鉱業事務所の唯一の残り建造物 【煉瓦づくりの煙突】

明治時代から昭和にかけての古河鉱業時代に造られた西洋風の建物が大切坑から十分一にかけての中間地点に有った。
IMG_1833.jpg
赤丸の中にある4つの建物が書かれていますが、そのうちの一つです。
IMG_1754.jpg
この図の中の林業部・鉱業部事務所と書かれていますが、この建物について少し記述がありますので紹介します。
そこには現在、煉瓦造りの煙突のみがひっそりと立っています。
ただし、その煙突は藪の中に有る為、冬から春先にしか見る事が出来ません。なんとか道路から何時でも見えるようになるといいと思います。
そこの場所について、昭和10年代に当時働いていた人が少し記述したものが有るので、紹介します。
私と院内銀山との関わり 佐々木 秋雄   会誌 「院内銀山」第13号より
 私と院内銀山との関わりは昭和14年、当時私は尋常高等小学校高等科二年の冬休み、春卒業したら銀山で働くつもりでしたし、父が銀山で働いていたこともありまして、冬休み中に見習いのつもりで、分析所で働いて見ることになりました。
 この時から私が銀山と関わる事になります。この頃分析には中通の佐藤寅一さん、町後の藤谷菊雄さん、長倉の諸越錬治さん、長倉の奥山義一さん等がおりまして、私はこの方々の助手でした。
 卒業したらここで働くつもりでしたが卒業してみると、色々事情もありまして東京に就職しましたが、健康を害し翌年やめて帰り、銀山で働くことになります。((昭和16年の事か)
 今思うと銀山での私の本職は何だったのかと、考えるほど多くに及びます。まず始めに父が大工の関係から大工の助手、その頃の木工所は、大切坑の上手五十mの処に外側を丸太で組み煉瓦造のペチカの煙突が印象的なオランダ風の洋館があり、隣接して古河鉱業所、隣接して購買部、その上手が倉庫、事務所の道を隔てて向かいが変電所、その上手が林業部の製材所、隣接して木工所で長倉の森田大工さんが棟梁で、私の父と私と三四人の雑役の人々、その後木工所は山元の工作部と合併し仕事場は現場事務所の道を隔てて向い、御幸坑の橋の下手川端、今この辺に立って見ると当時が浮かんできます。
IMG_1750.jpg
写真が横になってしまいましたが、この写真は昭和16年に写されたもので、写真には【院内山荘(別荘)】と書かれています。
この写真は上の記述の中にある・・大切坑の上手50mの所に外側を丸太で組み、煉瓦造りのペチカの煙突が印象的なオランダ風の洋館が在り、隣接して古河鉱業所・・・となっています。

IMG_1852.jpg

IMG_1798.jpg
この人の中に偉い人たちが写っています。
赤い四角の中の3人が偉い人たちです。一番右側が当時の古河鉱業の社長の古河従純氏です。
その隣が立石巌林業部所長で一番左側が柏木巳馬之助本社鉱業所所長です。

現在この建物は無くなってしまいました。(昭和の火災で焼けてしまいました)
それでは唯一残った建造物である  
煉瓦造りのペチカの煙突を紹介します。
IMG_1620.jpg
IMG_1621.jpg
これが今も唯一残る煉瓦造りのペチカの煙突です。
子の煙突は、いつでも見えるわけでなく、春先か雪の季節のみです。
宿舎の有った広場
広場
場所は、2枚の写真の広場になっている場所の奥の方になります。
川向う道
川向こうに道が付いていますが、十分一から大切坑へ行く道(旧道)この道から少し下流に煙突があります。
大切坑への道
右の方にある煙突のある場所からこの道を奥に行くと大切坑があります。
次回は大切坑について詳しくご案内します。
それでは、ごきげんよう、さようなら。

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世界ジオパーク認定登録を目指して日々活動している「湯沢市ジオパーク推進協議会」事務局です。

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