院内銀山の採掘

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こんにちは

とある作業が終了して、達成感とさわやかな気分を味わっている
湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のトビウオです

目や肩が痛くなりましたが、それも忘れられそうです


さて、今日も前回の続きで院内銀山についてお話しします
         1.院内銀山
         2.江戸時代の絵図に描かれた院内銀山

院内銀山は、これまでに第一山市竪坑の地表から地下約410mまで開発されました

江戸時代の開発初期、不動滝付近の銀鉱脈の露頭から鉱脈の発達に沿って採掘され始め、
次第に深部に向かって採掘されました

江戸時代、下3番坑(山市竪坑入口から地下約205m)まで採掘されましたが、
それらの坑道は迷路のように複雑に掘られていました

そこで明治12年、近代的な西洋鉱山技術の導入を図ったドイツ人技師は、
新たに第一山市竪坑を開坑し、銀鉱脈の開発・採掘を行いました

院内銀山の断面と坑道の水準
院内銀山の断面と坑道の水準


西洋技術の導入により深部の鉱脈の開発が可能となり、下4番坑~下6番坑の間の鉱脈は、
場所によっては6~8mに達する高品位の銀鉱脈(下図)を採掘し、
明治23年(1890)~明治33年(1900)の銀生産量は
年間10,000kg以上に達します

院内銀山、下4番坑水準における鉱脈の状況


しかし下7番坑より深部の本鉱脈の発達は急激に劣化し、薄化・消滅しています

銀鉱脈の発達状況


ではでは今日はこの辺で

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