白沢鉱山跡

Categoryジオサイト 稲川
皆さんこんにちは

男鹿が日本ジオパークに認定されましたね
今朝職場についてから知った私は驚きと感激でいっぱいでした
男鹿が先に日本ジオパークに認定されてすごいなぁ~という思いと反面私たちもそれに続けるように頑張りたいと思う思いとが入り混じってこれからの活動に益々力が入る今日この頃です

さてさて

今日は鉱山跡についてお話していこうと思います

鉱山は鉱山でも「美の郷ゆざわジオパーク構想」のジオサイト候補地稲川にあった白沢鉱山という鉱山です
稲川に鉱山があったなんてと思いませんでしたか
失礼ながら稲川に鉱山があったなんてという状態で私全く以て知りませんでした

しかもそこは今は駒形りんご園の奥の方にあるというのですからびっくりです

ではまず場所から
白沢鉱山跡は稲川町東福寺集落の東北東約1.2kmの駒形リンゴ園の奥にあります

詳しく話すと白沢鉱山跡選鉱所跡ズリ山が今は整地されて栗駒りんご園になっているのです
(ズリ山…鉱石を選ぶ際にあまり鉱石の入っていないもの等を捨ててあった場所を言います。)
白沢鉱山の発見は、宝永年間(1704-1710年)以前と言う説もありますが、実は定かではありません
宝永6年仙台出身の山師(やまし)山野目小平太によって開坑されたことは確かです
その鉱山経営は大規模なもので木材などを皆瀬流域から調達していました

白沢鉱山坑口跡
白沢鉱山の坑口の内部

寛政年間(1789-1800年)、白沢鉱山は佐竹藩の重要鉱山として請山になり、一貫して採掘、選鉱、製錬を行っていました
そして安政4年(1857年)~明治3年(1870年)まで13年間休山しました
明治4年再坑され、大正3年数条の新鉱脈(硫化鉄を含む銅品位9%内外)を発見し、銅鉱石285トンを出鉱しました
昭和9年、わが国の準重要鉱山に指定され、年間400トンの銅鉱を採掘しました
以降、稼行と休鉱を繰り返し、昭和30年始めに閉山しました

駒形りんご園
駒形りんご園にある白沢鉱山選鉱所などの敷地跡

昭和30年と言ったら私はまだ生まれてはいませんでしたが、それでも昭和の時代中頃まで開山していたということはそれだけ鉱石が採れていた、鉱脈が豊富にあったということに他なりませんね

また一つ新しい知識が増えました

今日はとても長くなってしまってすみませんです

今日のブログは今度はもっと文章力を付けて出直していきたいと思う湯沢市ジオパーク推進協議会事務局のシンでした
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